母は元々精神的に不安定なところがあり、私が幼いころから精神科に通い詰め、日々多量の薬(向精神薬など)を飲んで生活していた。
母が多量の薬を飲むことは、私にとって日常であったし、妹が生まれる以前は一人で留守番をすることも多かったから、カウンセリングなどにも通っていたんだろうなと思う。
小学生の頃、続き
小1か小2くらいの頃だったと思う。妹ももう生まれていた。きっかけはわからないのだが、何か嫌なことがあったのだろう。私は泣いた。半ば、もう自分でも何に対して怒っているのかわからなかったから正直泣く理由もなかったけれど、困らせてやろうくらいな勢いで泣いたことがあった。ベビーベットの横に身長を測る目盛りが貼られていたところの下で、泣きじゃくってしばらく、聞こえてきたのは救急車の音。救急隊が入ってくるなり抱きかかえられ、車内のベットに寝かされるなりペタッと冷たい洗濯ばさみのようなもので手足をつままれた。
「なんで?私、どこか悪いの?」
どうしようもできず、ここで泣き止むのも違うよな、なんていう気になって、しばらく泣き続けた。
当然のごとく診察を受けても異常などなく、倹約家の母が珍しくタクシーを使って家に帰ったのを覚えている。が、母親のあたたかさは覚えていない。
私が泣くと、救急車が来るんだ。
どうしたの?って聞いてくれるだけで良かったじゃないかと今なら思う。指一本私に触れることなく救急車が呼ばれたことは、私にとって喪失感につながったと思う。
勉強は好きで得意だったし、学校の準備も一人で難なくこなした。家の小鳥が死んでしまった時も泣かなかったし、友達と喧嘩をしても家で話すことは一切しなかった。いわゆる「いい子」。※家ではちゃんとわがままだった。でも正常な発達なのではないかと思う。今になって。
「私」は泣いてはいけないんだ、と悟った。同時に、誰かに甘えるという考えは、その時点でなくなったように思う。
美輪明宏や江原啓之のラジオなどが常に流れる家内。盛り塩の置かれる玄関、トイレ、寝室。
小学校の中学年以降になってからは、水晶やハンコにお金をかけるようになり、度々夫婦喧嘩をしていた。詐欺まがいの代物は往々にしてあり、兄妹それぞれ80万円ほどの印鑑は、半紙に何度も印を押し、それを燃やすという作業を何度も繰り返していた。
当たり前におかしいというのは理解していたが、そのものが本物か偽物かなどわからないから、「高級なんだな」ぐらいに思っていた。
母の境遇
私は3人兄弟の真ん中っ子である。父は前述の通りあまり家にいない人であったから、俗にいうワンオペ状態であったのだろう。私自身は手のかからない子であった(はず笑)が、気が強かったため、「誰かをいじめてしまわないか心配」という通常家庭とは逆の心配をされていた。一方で兄は気弱で心優しくどちらかというといじめられる側であった。頭は良かったからその点は心配されていなかったが、ちょっと変わったところもあった。妹はどことなく抜けている。のほほんとしている典型的な末っ子という雰囲気。
父は山口県で生まれたのだろうか、詳しくは知らない。転勤族で全国各地を転々としていたらしい。お坊ちゃま育ちの金持ちで金遣いは荒い。ギャンブル好きは自身でも公言している。宝くじは毎年のように一緒に買いに行っていた。
母は青森生まれだろうか。詳しく聞いたことはないが、母親は早くに他界。父親は依存症に陥り、兄は宗教団体に所属したため、一人で家庭を守ってきたということを嘆いていたような記憶がある。すべてあっているかもしれないし、間違っているかもしれない。
ご近所づきあいはほとんどなく、友達などはいなかったのではないだろうか。母親が他の大人と親しく話している様子を見たことがない。人を求めて料理教室や話し方教室などには通っていたようだが、孤独を極めていたことには変わりないように思う。
SNSを通して人と繋がれる時代であっても、身近に友達や頼れる人がいないというのは心細い。当時の母の境遇を思うと、苦しい環境で過ごしていたのだろうなと一部理解していることは、きちんと書き記しておく。
続く


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