以前の記事では、「ありがとう」と言えるようになった小さな言葉の変化を書きました。
今回はさらに深く、自分を受け入れることについての体験を綴ります。
私は、学生時代から人に甘えることが苦手で、自己肯定感も低いまま社会に出ました。
でも、少しずつ「自分を認める」という経験は、日常の小さな選択や行動の中にもありました。
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大学生活の突然の終わり
大学で武道系の部活動に所属していた。
朝4時に起き、本部道場へ自主練に行き、通常の部活もこなし、授業の空きコマには筋トレ。
部活に一生懸命取り組み、指導者にも認められ、四年生には海外への学生派遣も決まっていた。
しかし、3年生の春合宿の直後、大学は閉鎖され、私に大学四年生はなかった。
卒論以外の単位はすべて取り終えていたので、大学に行くことすら許されなかった。
あれだけ毎日頑張っていたのに。
幹部として最後の1年間をやり切りたかったのに。
ゴールデンウィーク、夏、大学祭、年明け…何度も期待し、何度も打ち砕かれた。
外に出ても誰とも会話ができないマスク生活。
下の階から聞こえる母の奇声とCDからの呪文のような音声。
期待しても再開されない大学。
真面目な友達も多く、遊びに行くこともできず、家にいるのが一番苦しいのに、
そうしなければいけない世間があった。
アルバイトも夏の時点で100万円を超え、これ以上働けない状況になった。
もう、逃げ場はなかった。
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小さな心の救い
「仕方がない」で、どれほどのことを諦めただろう。
日々見つめるのは、鏡の中の可愛くない自分だけ。
お金だけ稼いでも意味はなかった。
目を整形した。
決して良くは思っていなかったけれど、事実として少し心が軽くなった。
二重になるとメイクが少し楽しくなり、鏡を見る回数も増えた。
アイシャドウって意味、あったんだ。小さな感動だった。
髪の毛をブリーチしたり、少しだけ自分を表現することを楽しめるようになった。
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社会人になってからの変化
結局、卒業まで部活動はできなかった。
でも、整形した目は残った。
社会人になってからは、毎日メイクをするようになった。
必要性は感じていなかったけれど、マナーとしてやっていた。
今の旦那さんと付き合い始めたころ、言われた。
「をふちゃんの目、好きなんだよね」
なんと言っていいかわからず、ただ照れてみる。
でも、”ニセモノ”を好きでいられても困る。
嫌われるなら、早く嫌われたい。
直接は言えず、後日LINEで伝えた。
「元々目一重なの。コロナで辛くなって目だけいじってる。昔の写真も全然見せる。」
彼はこう返した。
「そういうことって言いづらいよね。言ってくれてありがとね。
別に外見だけで好きになったわけじゃないから、たぶん昔のをふちゃんに出会ってても好きになってたと思うよ」
そして、普通の会話に戻った。
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自分を受け入れる
いいんだ、これで。
前回の記事で書いた通り、人に甘えることが苦手な私ですが、
こうして少しずつ自分を受け入れる体験を重ねることで、自己肯定感は少しずつ育っていくのだと思う。
未だに「可愛い」と言ってくれる人に出会えた私は、本当に幸せだ。
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• 前回の記事:甘えられる子は強い。甘え方を知らなかった私が、人を信じはじめるまで


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