「甘えることは弱さだ」と、ずっと思っていた。
自分のことは自分でやるべきで、誰かに頼るなんて、みっともないことだと。
でも、大人になって心がすり減っていったとき、気づいたことがある。
本当に強いのは、頼れる人なんだ。
これは、「ひとりで頑張るしかない」と思い込んできた私が、
少しずつ人に心を預けられるようになるまでの話。
⸻
子どもたちの中にあった「甘える力」
学生時代、民間が運営する学童でアルバイトをしていた。
1年生から6年生までが入り混じるにぎやかな場所。
勤務初日から、子どもたちが両手両足引っ張って抱きついてくる。
なぜだか昔から、子どもにはとても好かれる体質だ。
けれど、全員がそうではない。
少し離れた場所から、こちらをじっと見ている子もいる。
その姿を見て、自分を見ているような気がした。
距離を置く子どもに、自分を重ねていた
「人」に向かって真っ直ぐ飛び込める子もいれば、
一歩引いて様子を見てしまう子もいる。
私はずっと、後者の側の人間だった。
人が苦手。
大人を信頼するという感覚がない。
仲良くなっても、どこか一定の距離を置きたい。
小学生の頃、仲の良い子に言われた言葉を、今でも思い出す。
「をふちゃんは、仲良くなると冷たいよね。」
たぶん、家族愛がわからなかったことが大きいと思う。
甘えられる子は、強い
困ったときに「助けて」と言える子は、
自分が助けられていい存在だと、自然に知っている。
私はそれができなかった。
だから、
甘えられる子どもを見ると、尊敬すらしてしまった。
⸻
私には「甘え方」がわからなかった
社会に出た私は、ずっと頑張った。
幹部候補生として入職し、新卒代表スピーチを任され、
1年目で結果も出した。努力もした。評価もされた。
でも、心が埋まらなかった。
私は「私自身」ではなく、
「結果を出した私」にしか価値がない と信じ込んでいた。
その感覚は、静かに、確実に心を削っていった。
⸻
社会に出て、心が追いつかなくなった
地方就職。
コロナ禍。
地元にも帰れない。友人とも会えない。
ただ毎日、黙って働いて生きて寝るだけ。
強がっていたけれど、本当は気づいていた。
「もう限界だ」と。
「人に、甘えたい。弱音を、吐きたい。」でも、人に甘える方法がわからなくて、ただ苦しかった。
⸻
はじめて「甘えてみてもいいのかもしれない」と思った日
もうどうでもよくなって、
マッチングアプリに手を出した。
そこで出会ったのが、今の旦那 だった。
最初は送り迎えすら断った。
信じるなんて、できなかった。
でも交通手段が不便で、仕方なく車に乗せてもらった。
「ごめんね、申し訳ないです。」
そう言った私に、彼はやわらかく言った。
「俺がしたくてやってる。
をふに喜んでほしいから。
ありがとうって言ってくれたら、それでいい。」
その言葉は、音ではなく、体温として心に入ってきた。
ああ、
人に頼るって、こういうことなんだ。
⸻
生きるのが下手な私が、生きるのが上手な人に出会った
私はずっと、ひとりで頑張ってきた。
でも、あの人は言葉も行動も自然で、
誰かの優しさを受け取ることを、当たり前に知っていた。
生きるのが下手な人は、生きるのが上手な人から学ぶ。
それでいいんだと思う。
いまの私はまだ完璧じゃない。
だけど、「ありがとう」が自然に言える自分になった。
それだけで、昔よりずっと、息がしやすい。
⸻
おわりに
甘えることは弱さじゃない。
頼ることは、負けじゃない。
それは、
「自分は大切にされていい」
「自分は受け取っていい」
と、自分自身に許可を出すことだ。
少しずつでいい。
ゆっくりでいい。
できるようになった瞬間から、
世界は少しだけ、やわらかくなる。
⸻
前の記事はこちら


コメント